東京・神楽坂のお寺、経王寺にて
「戦争体験を語る会」を行いました。
左:経王寺の互井観章和尚
右:参加者の平井善子さん
戦争を知らない世代が増えていくなかで、
今残しておかなければいけない戦争体験を記録し、
経王寺からも、世代を越えて語り継いでいこうとの
観章和尚のお考えから、
NPO「昭和の記憶」が参加者の方々の
聴き取りを担当しました!
参加者は檀家さんをはじめ、
経王寺での法要やイベントなどに参加された方々でした。
左:参加者の山越武司さん
右:参加者の渡辺一央さん
戦時中、特に昭和19〜20年ごろのこと、
そして終戦の日、戦後の生活について、
2日間で4名の方のお話を伺ったのですが、
同じ戦争の時期でも、それぞれ全く
異なる体験をされていました。
22日(金)のご参加は江東区にお住まいの
平井善子さん(70)と、
新宿区にお住まいの山越武司さん(76)。
お一方約2時間ずつ、ご自身の戦争体験を
聴き取りしました。
平井さんの空襲体験といえば、
昭和20年、恵比寿の家に住んでいたときのこと。
毎日のように空襲があり、爆撃の音が聞こえてくる。
今にも自分の頭の上に爆弾が落ちてくるのではないかと
思い、「殺される」という恐怖の日々だったそう。
その後はお父さんの仕事で満州の大連に
渡ります。
そこで終戦を迎えたのですが、
終戦後の貧しい生活のなかで、
人身売買の危機に遭ったり、
日本への引き揚げ船のなかで、亡くなった人が
真っ暗闇の海へ放り投げられる様子を
目撃するなど、
大連での日々はとても印象的だったことを
語ってくださいました。
山越さんは大阪ご出身。
大阪空襲のときのことや、
小学校の集団疎開では滋賀のお寺に行き、
集団生活をしていたときのことなどについて
話してくださいました。
疎開中の写真や、お兄さんの戦地からの葉書なども
見せてくださいました。
そして2日目。
23日(土)は渡辺一央さん(81)と来栖幹雄さん(72)。
どちらも新宿区、経王寺のご近所にお住まいの方でした。
渡辺さんのお話で印象深かったのは
東京大空襲の日のこと。
焼夷弾が空から降ってきたときの様子や
市ヶ谷の大本営に避難したときの様子を
語ってくださいました。
家が燃え出してきたとき、
渡辺さんは家からなにを持っていくか
お父さんに聞いたところ、
お父さんは「あぁ……」と、呆然として
しまっていたそうです。
そこで、渡辺さんは、
家のなかに入ったときに
目の前にぶつかったものを、
それがなんだかわからないまま
必死につかんで逃げたそう。
あとあと避難所で見てみると、
それはなんと、3本の傘だったといいます。
そんなことを笑いながら語ってくださいました。
左:軍需工場時代の給与袋。まずは親に渡し、そこから
おこづかいをもらっていたそうです。
来栖さんは終戦を茨城県の土浦で
迎えました。
近所の川で遊んでいたときに
初めて見た米兵の姿がとても印象深かったといいます。
米兵が投げたキャラメルを必死に拾って食べたそう。
また、実家である呉服店に米兵が
突然入ってきて、アメリカへのお土産に
着物を買って帰りたいと言われたこともあるそうです。
この2日間を通して、当たり前のことかもしれないけれど、
改めて、一口に戦争体験といっても、
その方によって、体験も感じ方も違うのだ
ということを感じました。
こうしたお一方お一方の体験を
少しでも多く聴き取りし、残していきたいと
改めて思いました。
今回お聴かせいただいたお話は、
経王寺の戦争体験集としてまとめていかれる予定で、
NPO「昭和の記憶」も引き続き
ご一緒させていただく予定です!
どうもありがとうございました!!
瀧澤尚子
